最近、開運橋に落書きされて問題になっているようです。
本日開運橋に行くと、落書きされていた部分が塗装の色と
同色の布?で覆われていました。
岩手日報に出ていた写真を見ると、非常にセンスがない落書き。
東京で見る同種の落書きと比べても、凄く劣る残念なつくり。
あんなの恥ずかしくて見せるのが凄いw
落書きで都会と田舎のクオリティの差を
感じるとは思いませんでしたw
とはいえあまり喜ばしくないお話。冗談はほどほどにしましょう。
さて、その開運橋。
別名「二度泣き橋」なんて呼ばれております。
東京で働いている人が岩手に左遷されて
「こんな遠いところへ来てしまった」と開運橋で一度目の泣き、
岩手から東京に呼び戻されるときに岩手の良さを知ってしまい
「まだまだ岩手にいたい」と二度目の泣きを開運橋でするというもの。
また、別のエピソードとして開運橋が作られた当初は有料で、
渡るたびに泣く泣く渡り賃を払うので往復で二度泣きするというものも
ありますが、今回はこちらではない方で話を進めます。
岩手の地元の方は、この別名をあたかも岩手古来の話のように
語られる方がいらっしゃいますが、そういうわけではなさそうです。
開運橋を二度泣き橋と名付けたのは、平成3年から3年間日銀の盛岡事務所の
所長を務めていた古江和雄さんと言う方が
盛岡から離れる際に心情を重ねたのだそうです。
ということは、ここ20年強のお話ということになります。
実はこの呼称。「地名+二度泣き」は、いろんな所で同じ意味で使われています。
・札幌の二度泣き
・会津の三泣き(意味はほぼ一緒)
・岡山の二度泣き
・博多の二度泣き
・大分の二度泣き
ネット上に主にあるのはこれくらい。
これ以外にも他の地方でも使われることがあるようです。
どうやらあまり位置が知られていない地域や大都市ながらも
大きく北や西に飛ばされる地域において使われるようです。
このような言葉が生まれだしたのも、会社網が発達してからの話。
どこにしてもそう古い言葉ではないようです。
そしてどこでも通ずるものが郷土愛が強く、魅力が多い地域。
住めば都ってことですね。
通る方に嘲笑されないように、落書きのない開運橋がいいですね。
なんて強引な締め方でしょうね。締め方が掴めずにこうなりました。残念。